この絵本の内容紹介あらすじ

「たまとり〈玉取〉」は、香川県志度町に伝わる伝説で、志度寺には、この本の主人公である海女の墓があります。

この志度寺に残っている「玉送玉取縁起」には、次のように記されています。
“天武天皇7年(697年)の頃、藤原不比等は父鎌足追福のため興福寺を造営した。その際、不比等の妹で唐の高宗皇帝の妃であった白毫女は、父追福のため〈面向不背の玉〉などの宝物を日本へ送った。使者が志度の浦にさしかかった時、急に暴風となり玉は海底に沈んだ。身をやつし玉を求めて志度にきた不比等は、ここで海女との間に一子をもうけた。この子が、後の房崎(房前)の大臣である。海女は海にもぐって玉を取りもどし、死んだ…云々。”

これが〈玉取伝説〉の概要ですが、実際には、この伝説のモチーフである〈玉取〉のことは正史にはみられず、また、鎌足の娘が高宗に嫁いだという事実もありません。しかしながら〈真実は事実をも超越する〉という言葉を想起する時、私達は確かに史実を超えた〈真実〉を「玉取」のなかに見るような気がします。1300年以上もの長きにわたって人々の間に語りつがれ生きつづけてきた要因、即ち、子を思うあまり命まで賭けた海女の、悲惨とも荘厳ともいうべき母性愛は、まさにまごうことなき真実といえはしないでしょうか。

さて、海女にとって子の立身出世は自分の命よりも大切でした。でも、もしもいつの日か〈立身出世など要らなかった。母に生きていてほしかった。〉と房崎が言ったとしたら、海女はどう返答するのでしょう。

宝とは何か、立身出世とは、親子とは、命とは、そして……人間にとって最も大切なものは、何か。これらについて、今もなお「玉取」は、私達に思考を求めているのです。