この絵本の内容紹介あらすじ

風は覚えています。そもそも何十万年も前、生き物が走り出したことを。

産声を上げて赤ちゃんが生まれると、体の中に風が潜り込みます。吸っては吐いて、吸っては吐いて。生き物の体の中には、いつでも風がいるのです。

森には速く走れる生き物がいます。跳べる生き物もいます。追いかけたり、追いかけられたり、どんな生き物も立派な選手なのです。

何万年も世界を吹き回っていると、人が増えました。森を切って街を作り、ここでは人と人だけで競い合います。

走る選手、跳ぶ選手、投げる選手、あらゆる選手が集まって、四年に一度のオリンピックがギリシアで開催されます。

向かい風、追い風、横風、あらゆる風が吹く中で、選手達は競い合います。裸になって、そもそもの体で競い合うのです。

風に乗って一番上手に跳べた選手は、葉っぱの冠を授けられます。そうやって、オリンピックは千年も続きます。

それだけ続いても、人のやることは、そもそもいつか終わりを迎えます。オリンピックを覚えているのは風だけ。

ところが、風が千五百年も吹き回っていると、オリンピックを忘れていない二人の男が世界に呼びかけます。「もう一ど オリンピックを ひらきましょう」と。

昔と同じ名前で「オリンピック」と呼びますが、昔の「オリンピック」とは違います。1896年、ギリシアの新しいスタジアムでオリンピックが開催されました。選手は、裸でもなければ、一番になるとメダルを授かります。

昔のオリンピックでは、人が15メートルも跳びました。「ピョォォォン ピョドォォォン ドピョォォォン ドッズン」と風に乗って三段跳びをやってのけたのです。

日本でも、いつか跳ぶかもしれない選手が、産声を上げながら生まれました。1905年、広島の隣町の海田(かいた)で、オダミキオの誕生です。

オダミキオはすくすく育つと、毎日風呂を焚きました。言わば、炎に風を吹きかける、風呂焚きの選手です。

海田の町は、そもそもどこでもスタジアム。海とも、川とも、山とも競い合って、どこでも走り回れます。

年に一度、小学校のマラソン大会が開催されます。オダミキオは勝ちたい一心で、一生懸命に走ります。ところが、風を吸っても吸っても、それでも足りず、最後は先生にオンブされました。

中学生になると、オダミキオは海に潜って遊びました。魚達と泳ぎながら、世界が繋がっていることを実感します。

「ちいさいのに オダくんは、りっぱに とぶなぁ」

あるとき、広島でオリンピックの選手に言われました。裸足のオダミキオは、風に乗って「ピョォォォン!」と跳ぶのです。

1924年、オリンピックの開催地はフランス。日本の代表選手であるオダミキオは、40日もの間、コーチと先輩と船のデッキで練習しながら、フランスを目指します。


この絵本の物語は、風の語りで展開されます。生き物達が競い合っていた頃のこと。ギリシアでオリンピックが開催された頃のこと。オリンピックが復活した頃のこと。日本のオダミキオがオリンピックで活躍した頃のこと……。「そもそも」からオリンピックを描きます。

また、物語に登場するオダミキオは、実際にオリンピックで活躍した人物です。海田町の英雄でもある織田幹雄は、1928年のオリンピックに三段跳びの選手として出場し、15m21㎝を記録し、アジア人初の金メダルを獲得しました。

そもそも日本語で『三段跳び』と名付けたのも織田幹雄です。最初の跳び、次の跳び、最後の跳び、と異なる動きを要求され、段を踏むように前へ進んだことから、『三回』ではなく『三段』としたのです。

織田幹雄は、スポーツを愛して、身体の可能性を本気で試しました。そして、一生を通じてオリンピックに携わり、そもそものオリンピックは何であるかを語りました。

「スポーツにはスポーツの論理がある。オリンピックにはオリンピックの考え方がある。それを大切にしなければならない。政府や周りの思惑でどうのこうのと左右されることはない。それが貫けないようならやる意味もない」

「ぼくは国旗国歌はやめた方がいいと思う」

「オリンピックは平和運動だとみんないうが、何もやっていない。世界の若人が集ってプレーするから平和だ、というが負けた人は翌日帰国してしまう。これでは平和も何もあったものではない」

「とにかく平和運動なら平和運動らしくするようIOCは努力すべきです。国威高揚だ、メダルをとった、と大騒ぎするのは、オリンピック精神に反すると思います」

織田幹雄のこれらの名言は、批判一辺倒ではない、より良いオリンピックを実現するためのヒントが散りばめられているように感じます。そもそも、オリンピックとは何なのでしょう。

選手達の一挙手一投足や結果に一喜一憂しながらでも、その根本について思いを巡らせてみてはいかがでしょう。