この絵本の内容紹介
1945年8月6日、広島の朝はカラッと晴れて、真夏の太陽が照り始めました。
広島の7つの川は静かに流れ、ちんちん電車はゆっくり走り、慎ましくも穏やかな日常が始まります。
東京や大阪、名古屋など、たくさんの都会が空襲を受けるなか、広島だけは一度も空襲がありません。それを不思議に思う人はいても、安心する人はいませんでした。今に来るかもしれない空襲に備えます。
火が燃え広がるのを防ぐために建物を壊して道を広げたり、水を用意したり、避難経路を決めたり。どこへ行くにも防空頭巾を被り、僅かながらの薬を持ち歩きました。
その朝、7歳のみいちゃんは、お父さんとお母さんと朝ご飯を食べていました。田舎の親戚から貰ったサツマイモを嬉しそうに頬張ります。
ところがその時、突然と恐ろしい光がピカッと瞬きました。100も200もの雷が一斉に落ちたような、青白い光に覆われたのです。
それは、アメリカの原爆機B29のエノラ・ゲイ号から落とされた、人類初めての原子爆弾。1945年8月6日の午前8時15分、リトル・ボーイと名付けられた原子爆弾が広島に投下されたのです。
みいちゃんが気づくと、辺りは静かで真っ暗。それから、パチパチという音が聞こえてくると、赤い炎が立ち上ります。
ところが、どうしたことかみいちゃんの体は動きません。重い木が体を押さえつけていたのです。お母さんの叫ぶ声が聞こえてくると、みいちゃんは力を込めて這い出します。
一方、お父さんの姿が見当たりません。もう駄目だと諦めかけたその時、燃え盛る炎の中にお父さんの姿を見つけました。
お母さんは決死の思いで炎に飛び込み、お父さんを助け出します。ところが、お父さんは瀕死の状態。体には穴が開いていたのです。
お母さんは、お父さんに包帯をして、それからお父さんを背負って、みいちゃんを連れて走り出します。三人は、水を求めて川へと向かいました。
川に着くと、そこには火に追われた大勢の人が押し寄せています。着物が燃え落ちた人、瞼や唇が腫れ上がった人、目が開かなくなった人、誰もが原子爆弾の被害を受けていました。
広島の街では、幽霊のように人々が彷徨い、力尽きてうつ伏せに倒れ、倒れた人々が折り重なり、地獄以上に恐ろしい光景が広がります。
火に追われながら、みいちゃん家族三人はもう一つ川を渡りました。そして、力を使い果たして崩れるように座り込みました。
川の上流からは人や動物が流れ、空からは油のような黒い雨が降り注ぎます。絶望的なこの状況、みいちゃん家族はどうなってしまうのでしょうか。
家族団欒の和やかな朝食から一変、たった一つの原子爆弾によって何もかもが奪われてしまいます。それほど恐ろしいことが、戦時中の日本で現実に起きているのです。
これまで、戦争や原子爆弾の恐ろしい記憶は世代から世代へと伝承されてきました。しかし、時代の変化とともに原子爆弾の被害を経験した人々はあの世に旅立っていきます。
時間の流れというのは残酷な一面もあり、人々の関心や記憶から戦争や原子爆弾のことが次第に薄れていくこともあります。
そうなると、戦争が肯定された時代があったように過ちが繰り返される可能性もあります。二度と起こさないと決めたはずの戦争が、また繰り返されるかもしれないのです。
そんな時代の転換期だからこそ、戦争や原子爆弾の恐ろしさを描く必要があったのかもしれません。
これほどまでに恐ろしくて悲しい絵本は多くありません。それでも現実に起きたことだからこそ、二度と過ちが繰り返されないためにも必要な絵本なのでしょう。
「ひろしまのピカ」制作のきっかけとなった、ある女性との出会い
著者の丸木 俊氏が北海道の小さな町で「原爆の図」の展覧会を行なっていたときのこと。そこで出会った女性の実体験をもとにこの絵本は描かれました。
その女性は広島で原爆被害を受けた後、北海道に移り住みました。ところが、ピカの話をすると大袈裟に言っていると思われたり、同情を引こうとしていると思われたりしたのです。
陰口を言われるうちに口を閉ざしてしまった女性ですが、「原爆の図」で心動かされるものがあったのでしょう。展覧会の会場で、閉ざし続けた言葉や記憶が溢れ出したのです。その言葉や記憶を紡いで完成したのが「ひろしまのピカ」なのです。
「ひろしまのピカ」の制作話は、絵本の巻末に記されています。