この絵本の内容紹介
学校の教室で一人の男の子が泣いています。
一体どうしたのでしょうか。
他の子ども達の言い分はこうです。
「学校のやすみじかんに あったことだけど わたしのせいじゃないわ」
「はじまったときのこと みてないから どうしてそうなったのか ぼくはしらない」
「ほんとうは わたし みたの だから しっているの でも とにかく わたしのせいじゃないのよ」
どうやらイジメが原因で男の子は泣いているようです。ところが、他の子ども達の言い分はどこか他人事。
自分が加担していなければ悪くないのでしょうか。みんながしているなら許されるのでしょうか。少しだけなら許されるのでしょうか。イジメられるほうが悪いのでしょうか。
この絵本には、子ども達の「わたしのせいじゃない」という言い分が描かれています。イジメを傍観していた子ども達も、実際に加担した子ども達も、何かしらの責任があるというのに淡々と自分の言い分を話します。
この14人の子ども達の言い分からは、間接的に責任の押し付け合いをしているように感じられます。誰が悪いと言うわけでもなく、少なくとも自分は悪くないと言うのです。そうすることで、他の誰かが悪いのだと暗に示しているのです。
一転してこの絵本の後半では、原爆のキノコ雲や貧困で苦しむ子ども、油まみれになった鳥などの写真が綴られています。これらの写真は、直接的には私達の暮らしと関係のないことなのかもしれません。それでも私達一人一人の責任を感じさせられます。それはきっと、この絵本の前半を読んで何かを感じたから——。
イジメの責任を押し付け合う構造は、子ども達だけに、教室の中だけに留まるでしょうか。
大人になって社会に出ても似たような構造が潜んでいます。過去の過ちを振り返れば、誰かを傷つけるたびに責任の押し付け合いが繰り返されてきたことがわかるはずです。
責任について考えることは、自分の人格を見つめ直すことなのかもしれません。大変なことではありますが、とても大事なことなのです。
この絵本をとおして、責任について思いを巡らせてみてはいかがでしょう。「わたしのせいじゃない」では済まされないことが溢れていることに気づくはずです。